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プロフィール

名 前 津川 雅彦(つがわ まさひこ)
本 名 加藤 雅彦(かとう まさひこ)
生年月日 1940年1月2日
出身地 京都市
所属
事務所
グランパパプロダクション
略 歴 父は往年の日活スター・沢村国太郎、母は女優のマキノ智子(恵美子)、2男2女の次男。

母の父が“日本映画の父”といわれる牧野省三、兄が俳優の長門裕之、父方の叔父が加東大介、叔母が沢村貞子、母方の叔父がマキノ雅弘監督という文字通り芸能人一家に育つ。

父が主宰していた劇団・新演技座の子役として物心ついたころから活躍、5歳のとき、大映の『狐の呉れた赤ん坊』(1945)に出演したのを皮切りに『獅子の座』(1953)、『夜明け前』(1953)、『山椒太夫』(1954)など約10本に出演した。

しかし本人は俳優よりも新聞記者になりたいと両親を説得、一家を挙げて東京に移転したのを機に1956年、早稲田大学付属高等学院に入学した。新聞記者なら「早稲田に行け」という父親のアドヴァイスがあった為。

入学後まもなく日活から『狂った果実』(1956)の主演話が持ち込まれた。迷ったが、両親のすすめもあって出演。長門裕之をスターダムに押し上げた『太陽の季節』の直後で、太陽族映画と呼ばれた作品だが、(津川雅彦、石原裕次郎とも新人としてデビュー)裕次郎ふんする太陽族の兄に初恋の女を奪われたことから兄の反道徳ぶりに体当たりで怒りをぶつけるという純真な少年役をさっそうと演じた。
この映画は中平康監督のすぐれた演出がフランスのトリフォー・ゴダールを刺激したことでも有名。

以来、『夏の嵐』(1956)、『孤独の人』、『十七才の抵抗』、『今日のいのち』(1957)の青春映画に続いて出演した後、叔父のマキノ光雄東映専務の紹介で1958年、日活を退社、松竹に移るが、これが新人の引き抜きを禁じた五社協定にふれ大問題になる。結局フリーの形で期間をおいて松竹に移ることで落着したが、この移籍騒動とともに早稲田高等学院は中退、明治大学中野高校から文化学院短期大学に進み、学業と俳優の二またをかける。

松竹では木下恵介の『惜春鳥』(1959)を手始めに『素晴らしき十九才』、『ここに男あり』(1959)といった甘い二枚目を売りもののメロドラマに出演したが、このころから60年安保闘争の高まりを反映したヌーヴェル・ヴァーグ、大島渚の『太陽の墓場』、『日本の夜と霧』(1960)、吉田喜重の監督デビュー作『ろくでなし』(1960)や『甘い夜の果て』(1961)、田村孟の第1回監督作『悪人志願』(1960)などの話題作にあいつぎ出演、脱二枚目をはかるとともに芸域を広げた。しかし、どちらかといえばメロドラマの方が水に合っているようで、岩下志麻との『あの波の果てまで』(1961)などは実に生き生きと演じていた。

1963年ごろから東映『次郎長三国志』(マキノ雅弘)や大映『江戸無情』(1963)、『舞妓と暗殺者』(1963)など他社出演が増え、翌1964年には松竹を離れてフリーとなり、芸術座を手はじめに舞台、テレビ、映画と活躍。1969年には黒木和雄の『キューバの恋人』に主演したりした。すでに二枚目を卒業、悪役でもいい味を出している。

1973年5月、朝丘雪路と結婚。
その後、一人娘、真由子の誕生を機に、木のおもちゃの必要性を感じ、自らおもちゃ販売会社「グランパパ」を設立、今や20店舗を全国に展開、タレントの副業とは一線を画す本物志向の店を経営している。

中年期に入ってからは、『マルサの女』、『スーパーの女』などの伊丹十三監督の作品に数多く出演するなどして、年相応の渋い中年役でも存在感を示した。そして、1998年の東映『プライド』で東條英機役を演じて日本アカデミー賞優秀主演男優賞。2000年にはNHKの大河ドラマ『葵〜徳川三代〜』の徳川家康役で主演。TBSの人気シリーズ『サラリーマン金太郎』で建設会社会長の大和龍之介役を演じるなど、その存在感あるキャラクターは定評があり、役者としてますます脂の乗った円熟の境地のさなかにあると言える。

《カツドウヤ系図》

家系図

 

カツドウ屋血族

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「津川雅彦物語」カツドウ屋血族

安達英一著(報知新聞社刊)
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ISBN4-8319-0122-9

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